最近は聞かないが、二、三十年前まで、篤農家のところに行くと必ず聞いた名前がある。
それは「四季の会」。東京の銀座、新宿、神田、日本橋の名だたる果物専門店と仲卸の、
今でいうバイヤーグループの名前。全国のフルーツ名人をハントしていたのだ。
名古屋から来た若造さんよ、うちはあんたらのレベルじゃないよと言わんばかりに、
訪問先の生産者さんから聞かされた名前である。
彼らにとって四季の会との取引は、誉れであり勲章なのだろう。
時には、会から手土産にもらった日展作家のお皿の話も聞かされた(こちらはえび煎餅)。
それでも何とか荷を送ってもらい、分不相応ながらも並べて頑張って販売した。
幸いうちは名古屋駅に店舗があったため、新幹線から降り立ち、その足で寄ってくれるお客さんの中には、
(四季の会のメンバーの)八重洲のお店で買うより、こちらで同じものが安く買えるわ、
と言われるようになった(本当は同じ値段で販売したかったのだけど、家賃分、安く付けた)。
同じくらい前、和歌山の有田にみかんで行った時には、四百年前から売り先は決まってるから買ってもらわんでも良いよ、と言われたこともあった。
今では懐かしく、フルーツの価値が高かった頃(売り手市場)の、それこそ産地の土産話である。(2021.4.9.)